たぶん長い思い込み

言い訳をするなら、ドイツ語や哲学をやれるから、人間関係が苦手なんじゃない。

生まれて、親からろくなしつけを受けず、世間からも見捨てられて育って、人間関係が苦手で育って、ドイツにいけば迎え入れてくれる場所があるかもしれないと、NHKのドイツ語講座がちょうどいい時間帯だったってだけで初めて、どうして自分の親や環境がああだったのか、それを克服するにはどうすればいいのかを知りたくて、自分のその時点で持っていたドイツ語の知識とそれを勉強するために通ってきた知り合いの関係で目指すことができた外大でドイツ語で学ぶことができて、その解決に役に立ちそうだったのが哲学だっただけだ。

ドイツ語は堅苦しそうで、人間関係を苦手にしそうだけど、哲学もそうだけど、私に限っては順序が逆だ。

朝、図書館から借りた本を読んだ。

毒親育ち

あんまり、「毒親」系の本は今は好きではない。

アダルトチルドレンが話題になったころ、まだ米大統領がクリントンだったころ、読んで影響を受けて、本に乗っていたカウンセラーとかも訪ねたのだけど、

前にも書いたかもしれない、私が参加したグループセラピーでは、親から受けたこととか、イヤ、ソレ、普通の親なら多かれ少なかれある欠点なんじゃ・・・みたいなことだと私には思われたのに摂食障害とか、依存症とか、リストカットを繰り返すとかの人が多くて、

親から受けた被害とかは、どれだけ傷つくかは、その人の基準だから、セラピーを受けている人同士でそれについては触れてはいけないことになっていたから、何も言わずにいたのだけど、

で、私は、生きづらさとかをどう克服するかを相談する相手が欲しくて参加したのに、「親のせいで」を繰り返して、自分が繰り返す摂食障害とかを弁解することで始終していて、参加し続けることのメリットがないと思われた。

そういうの、見てきているから、Noneが心理カウンセラーになると言った時も、職場によっては不毛な仕事になる可能性があることも知っているんだけど。

まあ、アルコール依存症が社会問題でなく、医療になったのは、アルコール依存症者が社会生活をするために医療にかかる経済的余裕ができたことだと聞いたけど(前に書いたけど)アダルトチルドレンのグループセラピーは、それそのものがビジネスで、問題を抱える人からカウンセラー料を取り続けられれば、治療したり回復させたりする必要を医療側が考えていないように私には思われた。

でも、今の状態の時に、この本を読んで、さすがに泣いた。トラブルの多い家庭で育ったものが持つ、生きにくさがよく書かれているし、最後の方の、前向きに生きていこうとするところとか。

大多数の人が子どもの時に親や環境から与えられるという噂の安全感。
(そこに行けば、どんな夢も叶うというよ。ガンダーラ。)

そういうの、持たずにそだって、ななめからものを見てしまう人の方が、私には同じ民族であるかのようにすら思える。

(まあね、うちは沖縄の流れだけど、「血と骨」みたいな家だったし、牧師さんとかは韓国だけど、いい家庭のお子さんみたいだから、私の思うような「血と骨」的なコリアンな文化は持ってないみたい。)

私が子育てするときに、環境の方を用意したいと思った。出した答えが教会だった。

今思えば、ちょっと地理的な移動に苦労しても、インターナショナルな教会とかさがしておけばよかったかもしれないと思わなくもない。Noneの英語にたいする態度がもうちょっと違ったものになっていたかもしれない。

まず、まえの牧師が大阪の人間じゃなかった。

大阪の公立高校で上位校に行けるのは、実際偏差値の高い頭のいい子じゃない。

内申のとりかたとか、その他大阪の受験のやり方を知っている親の子だとわかっていた。
今はネットなどでそれが広まっているから難しくなっているけど、Noneの小学生のときは、学区制も残っていたし、ある程度ものわかりのいい子を持っていたら、要所をおさえればできそうなことに思われた。

自分自身が、中学の時、同じぐらいの頭の良さだと思っていた子が親が大阪の受験を熟知していて、高校で差をつけられた、それはその後カーストのように進学や進路に響いていった。

何度も書いているけど、そのあと社会人で大学に行って、学問をする学校と、お金があって、サークル活動とかで過ごす大学は違っていて、前者に行きたければ、高校進学は押さえていなければならないところだったとわかる。

自分の子には公立高校でいい進路を進ませたいと相談したことが、まるでキリスト教徒としてあってはならないぐらいの非道なことみたいにつきはなされるようなことだったのかと今でも思う。

(追記:私が間違っているのだろうと思う。キリスト教徒なるもの、世俗の知識などに興味を持ってはいけないのだろう。)

前の牧師さんには、大阪の入試のこととかも、そういう事情も話せないぐらい、最初から拒絶されて、(たぶん、主人に見放されて経済力がなく、教会のお荷物になることを予測されたからだと思う。私側としては、自分が働けるようになったり、Noneがいい就職をすることによって、お荷物でない状態になりたかったのに、それすらいい意味ではとられていなかったみたいだったから)

まあ、前の牧師さん、お子さんが、普通の教育を受けるのも難しい状況だったので(形容が難しいですが)、普通の教育で受験とかで頑張ろうとすることが、そういう普通教育が難しい子を馬鹿にしているように見えたのかもしれませんが、私はどの子にも教育と言うものは大事だと思っていて、受験塾のように型にはまった大勢向けの教育ができない場合ほど、丁寧な教育が必要だと思っていたのですが、そういう私のもともと持っている意見とかも、言う状態ができないぐらい拒絶されていましたからね。(まあたぶん、それも私が最初にドイツ語と哲学を頑張っていたことを言ったせいで)

なんか、公立高校で某高進ませたのが、今の牧師さんにとっても、キリスト教徒としてふさわしくないみたいに見做されるようで、それがキリスト教というものかと思い始めているのですが。教育に理解のある牧師さんかと思って喜んでいたのですが。

まあ、歓迎されてなかったから教会学校でもNoneは前の牧師さんから嫌なことを言われた記憶ばかり残っているし、小学校低学年ではいりたてのときに、お母さんがあんなに丁寧にあいさつしたのに、なんで牧師さんは無視するんだろう、も見てきていたし、それできっとキリスト教に疑問を持つようになったんだろうけど。

まあ、それでも、自分はクリスチャンの家だから、特待があっても上之宮は受けないとは言っていたし、実際条件的にはそっちのほうが良かったのに受けなかったし、もし、うちが四天王寺とか受けてたんなら、偏差値が高いからってそこを選ぶのはクリスチャンじゃない、みたいに言われててもしかたがなかっただろうとは思うけど。(そのときの中国語教室の先生に、四天王寺を勧められて、クリスチャンだからと断ったら、社会的立場を上げるためなら宗教的なこだわりなんてしてられないだろう的に目を丸くして言われたけど)

まあ、もしかして、某高ですって言って、知らないと言われたからそのまま流したので、牧師さんたち調べて、コレ見たんじゃないかなとか思えて、

高校偏差値net

某高と池附と附天と北野がならんでいるけど、(ホンマ某高どこか隠す気ないな)

たぶん、コレ、あいうえお順なんやと思うけど、上にあるから行かせたみたいに思われてないかなとか気になるんだけど。(し、None普通科やし)

で、Noneが高校の時に友達と話してて引くに引けなくなって受けた某高であって、親としたらそんときはビビってて大丈夫そうな高津に行かすつもりだったし。

それに、もう一度書くけど、大阪の公立の入試は偏差値の問題じゃない。

前の牧師さんが今困った状態にあるのかもしれない。なんか、こないだの祈祷会で祈られていたけど、ちょっと途中から聞いたのでどういう状態かわかっていない。

私自身は、困った時に相談に来て、若干、キリスト教の学校の奨学生に該当するか調べたあと、主人がお金を持っているのに教育にお金をだすつもりがないだけなので該当しないと分かった時点であとは放り投げられたから、実際私たちが受験でうまくいかなくて、教育を十分に受けられる可能性が低くて将来困ることになるのでも構わない扱いだったことを考えれば、今困っているとしたら、助けを求めに来て信者になろうとした者の相談にものらず、またキリスト教がどういうものであるかも伝えられなかった牧師なんだよね、みたいに思ってしまう。

実際、前の牧師さんがいたころは、いかに教会の信者の痛みとか悩みとかに寄り添うかではなく、いかに教会の中で自分が「お殿様」であるかが大切だったように見えた。

朝鮮半島の問題を扱う話の時にも、私は同じものを感じたけど。あいかわらずやなあ、思た。

まあね、見捨てられた信者であったとしても、その牧師の幸せを祈るのが真のクリスチャンなんだろうけど、

今日、ボランティアを探していた。

学生さん募集のところが多いねー。

中には、学生募集はいいけど、コレ、ボランティアをかたった合コンちゃうん?みたいなのとか、怪しげな起業をすすめられそうなものとか。

なかで、これ一つ、シニア募集とかの、よさそうなのが。

どのボランティアかバレたらやばいから、詳しくは言えないけど、流れ流れたヤシの実みたいな自分がたどり着くにはいいかもしれない、とは思った。

まあ、だれでもOKみたいなわけではなさそうだから、行けるとは限らないんだけど。

仕事がおちついて(それも自信がないんだけど)韓国語講座申し込んで落ち着いたら、ボランティア応募してみようかな。

まあ、前祈祷会に行ったとき、このブログ知ってるんじゃないか、知ってて、まあ、私と話す気ないんだろうなというのがわかったから、(話しかけたけど、なんか避けたと思うから)今度は話し合える牧師さん来てくれたと思ったんだけど、そうではないみたいだから、伝えられなかったことを書いてみようと思いました。

私の思い違いだったら、長い長い私の思い込みの書き込みで終わりなんだけど。

良い牧師さんだったら、今度はいろいろ話し合ってくれるかもしれない。Noneも改めてキリスト教はいいものだと思いなおしてもらえるかもしれないと思ったんだけど。

私は、キリスト教徒としてふさわしくはないのかもしれない。哲学とか社会学で、宗教の意義とかを考えている方がいいのかもしれないとは思う。

ボランティアの方で、自分の現世的な経験やそれを使った行動が誰かを救えるかもしれない。

そこにいるのが、人を信じれるのかわからなくて迷っているような、ものの見方がまがっている人だと良い、たぶん同族同士、怖がらなくていい相手だと思えたらいいのに。

まあね、お墓にはいるところが欲しかったから、通うつもりでいたんだけど、

Noneに出世してねってお願いして、出世してもらえたら、最初から来たことを歓迎してもらえる教会に行けるかもしれないなとは思っています。

まあ、アダルトチルドレンを扱う医療がビジネスだったように、私から見えるキリスト教も、お金持ちの年配の人に安心を売るビジネスのように見えてきたりもする。

まあ、トリクルダウンを期待する方だから、裕福な老人などの寄付金で貧しい人困った人の救済があるんだと思うから、非難する気はないんだけど、(自分も出せるときの寄付とかはだからするのだし)

とりあえず、ここでは、私立に行くお金がないので公立でいい教育を受けようという種類の人間が非難される、そういうコースしか使えないんだったら、将来善意的な職業を志望しているのだとしても応援はしてもらえない、

そういう場所にすぎないんだと思う。

自分の思うことを3行とかで話していてOKな人は幸せだと思う。大阪のいい公立に行かせたいんですという文に、あと2行どのように付け加えたとしても、めちゃくちゃ悪いイメージしか持たれないし、親子関係の事、そのほかのこと、事情がある人のことをいいようにとらえてくれる人ばかりでないのは、嫌と言うほど経験している。

教会だからか、教会でもなのかはわからないけど、渡る世間ではなののこと

ななめからものを見ているから、ここまでは医療で、ここからはカモにされてビジネスをされているとか、理解しながら得られるものを得て、できるだけのものを失わないように生きてきたつもりなんだけど。

とりあえずこんな感じです。

にほんブログ村 外国語ブログ 中国語へ
にほんブログ村

にほんブログ村 受験ブログ 大学受験(本人・親)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村

ランキングに参加しています。応援クリックお願いします。